平成21年(2009年)沖縄遺骨収集奉仕活動

8月07日(金) 金光教ご本部参拝

金光教の皆様、立教150年、誠におめでとうございます。(^o^)

心を込めて、このめでたい祝意の列の末席に並ばせていただきます。

安政6年(1859年)に開かれたといいますから、確固たる歴史と伝統を感じます。私も、そんな長い歴史と伝統を持つ金光教の皆様とは、沖縄遺骨収集奉仕活動を通じて、交流させていただくようになりました。

その参加させていただいた沖縄南部戦跡における遺骨収集奉仕活動では、言葉では表すことが出来ないぐらい、数多くの学びを得させて頂いたのです。

沖縄遺骨収集奉仕活動を通じて、結果として、私の人生をも大きく飛躍させる事となった、この大いなる学びを得た事への感謝の気持ちを、ぜひ岡山のご本部にて表明したいという思いが、いつも心にありました。

ですから金光教立教150年が今年であると知ったとき、迷うことなく、今年こそ本部へ参拝に行き、心からの感謝の意を表明してこようと決めました。

タイミング的にも素晴らしいですよ(^o^)。50年前は母に甘えるのに忙しかったし、50年後といえは、骨壺から出て訪問しなければならないし。(笑)

妻にも「金光教の本部に一緒に参拝しない?」と聞いてみたところ、了解してくれて、旅費が必要だろうからと、妻が 「500円玉貯金をこれから始めよう」 と語り、旅費の工面もすぐにスタートしました。

遺骨収集奉仕活動でいつもお世話になっている地元のKさんの案内で、ご本部を参拝出来る事となり、安心して岡山県は金光町に向かう事が出来ました。

実はご本部参拝は、これで二回目です。それでも前回は20年ぐらい前の出来事ですから、何もかもが新鮮な旅となり、本部参拝と相成ったのです。

Kさんの勧めで、教主様が会堂に出仕するのを見送りたかったのですが、倉敷に宿を確保している関係で時間的に無理という事で断念し、夕刻の教主様が会堂から退出するのをお見送りする事が出来ましたので、とても印象深いご本部参拝となりました。

お広前では、心を込めて長年にわたる感恩の念を表明してまいりました。 誠に有り難うございました。

またKさんには仕事をお休みしてまでも対応して頂きました。 有り難うございました。

私の金光教との出会いは、昭和60年1月、金光教の皆様が真摯に取り組み続けた「第9回沖縄遺骨収集奉仕活動」 をNHKテレビ見たのが、金光教 という宗教教団の名前を知る最初でした。

数あるニュースのなかの、わずか2~3分のテレビ映像でありましたが、結果的に今になってみれば、この映像との出会いが、私の運命を大きく変える事となったのでした。

私は第10回金光教沖縄遺骨収集奉仕活動に、一般参加者として初めて参加させていただいた訳です。

初めて摩文仁之丘に立ったとき、初めての参加でしたし一般参加は私一人だったので、不安一杯のなかでの遺骨収集奉仕活動でしたが、皆様に親切にしていただき、あっという間に過ぎ去った4日間でしたが、なにより言葉ではとても言い尽くす事の出来ない尊い体験をさせていただく事が出来ました。

沖縄戦による戦没者の鎮魂を願う事のみをもって参加させていただいたわけですが、他ならぬ私自身も大きな大きな感動を体験する事となり、この時から人生が変わったように新たな道程を歩む事となったのです。

あの "運命の出会い" から早25年ほどが経過しています。年月の経過は本当に早いものですよね。

毎年毎年、沖縄戦で非業の死を遂げられた戦没者の御遺骨と応接するあいだに、本当に多くの事柄を学ぶ事が出来ました。生と死の両方をつぶさに見つめる機会を得て、命の大切さ、生命の尊厳、戦没者への感恩、先人への感謝、今ある生への感謝、児孫の行うべき責務、日本人としての為すべき責務…。あげればきりがありません。

25年の歳月の中で学び得た事柄をしっかり心に刻み、これからも出来る事から実行し、社会への恩返しを心がけ、沖縄戦で非業の死を遂げた若人の精神性に負けないように、足跡をしっかり大地に刻み込んでいけたらと思います。

私と金光教との出会いは、もしかしたら、金光教の神様がNHKテレビを見るように仕向け、この掛け替えのない出会いを演出してくださったのかも知れません…。 そう思えてならない今日この頃です。

私は信者さんでありませんから教典を暗記してはいませんが、"金光教的な生き方" が、日常生活の中での精神的支柱として厳に存在し、日々の活動において進路を指し示してくれると感じた事が幾度もあります。

私はこれからも、金光教の皆様の後ろ姿を通して "金光教的な生き方" を学んでいくのでしょう。子供が親の背中から人生を学ぶように。

ご本部参拝

    修徳殿前にて 愛妻と共に

神様からの贈り物

目さま 耳さま 鼻さま 口さま 歯さま 舌さま のどさま
食堂さま 胃さま 十二指腸さま 小腸さま 大腸さま
直腸さま こうもんさま ありがとうございます
じん臓さま ぼうこうさま 尿道さま ありがとうございます
今日もお通じを頂き ありがとうございます
体毒のお取り払いを頂きまして ありがとうございます
お便所さん お水さん トイレットペーパーさん タオルさん
お世話になり ありがとうございます

私たちは食事をする際に、ありがとうと言うでもなく(私だけかもしれませんが)、美味しいとか、不味いとか、固いとか味が薄いとか言いながら食事をしていますが、食べ物は口から入り、肛門から出るまで、その裏の気づかない所で、実に多くの諸器官のお世話になりながら、血肉の一部となり、エネルギーとして日々の生活の中で活力を生み出してくれるのですね。

ご紹介した、この「詩」を読めば、誰でも "食べ物さんのお陰" を、ウンウンと納得出来ますよね。もしもこの「詩」に題名をつけるとすれば、それは "ありがとう" という言葉になるでしょうか。

"ありがとう" という言葉の神髄を、見事に表記しているこの「詩」は、何よりも生活の全てに応用可能であるという点が、素晴らしいですね。

私は家庭菜園を趣味としていますから、「種さんありがとう、雨さんありがとう、耕耘機さんありがとう…」

マラソンもやっていますから、「運動靴さんありがとう、足の筋肉さんありがとう、道路さんありがとう…」

もちろん、仕事にこの "ありがとう" の精神が生かせれば、倒産はあり得ない。(笑)

私たちが、この "ありがとう" という言葉の真意を理解し、生活の隅々まで浸透させた生き方が出来るなら、今日から私たちの人生は、感恩報謝の心に包まれ、穏やかな心に満ちた、素晴らしい人生を歩む事が出来るのではないかと思います。

申し遅れましたが、この人生を大きく変える可能性を秘めた、上に掲示しました、"ありがとう"という魔法の言葉は、実は金光教のとある教会のトイレに掲げてありました。

ご本部を参拝するに際し、時間を多めに確保しておいたので、タイミングをみて、Kさんがご本部からそれほど遠くない教会に連れて行ってくれたのです。

その教会では教会長からいろんな貴重なお話を伺う事が出来ました。有り難うございました。そして帰り際に、妻がトイレに立ち寄った事により、この"ありがとう"の「詩」を知る事となったのです。

まさに"トイレさま ありがとう"でした。

この"ありがとう"の言葉を、このコーナーでご紹介させて頂いたのは、ほかでもありません。私はこの"ありがとう"の言葉が、ご本部へ感謝の意を表明しに行った事への、神様からの贈り物の言葉に思えたのです。

毎日使っている、"ありがとうございます"、"おはようございます"、"こんにちは"、"すいません"…。

当たり前のようにごく自然に使っているこれらの言葉を、これほど印象深く、私たち夫婦の脳内にキッチリと埋め込んでくれたのは、そうであるとしか思えないのです。

実際私たちは何も努力をしませんでした。しかし、ご本部から帰って一週間も過ぎた頃には、この"ありがとう"の言葉を、生活の中心に据えようという合意が、夫婦の会話の中で組み上がってしまったのです。

私はこの流れを見るにつけ、これは神様からの贈り物だなと、心から得心したのでした。

この"ありがとう"の詩は、訪問した教会長様から色紙に書かれたものを送って頂き、すでに我が家のトイレに掲示してあります。ですから、毎日1回から3回は読むことになります。(笑)

読んだからといって、お通じが良くなるという保証はありませんが、この文脈の中に潜む、ありがとうの心の神髄を、いつの時も思い出し、残された人生の主軸として、大いに活用していきたいと願う今日この頃です。

問題は、一番多く語らねばならないであろう妻に、"ありがとう"が言えない事なのです。(^^;)

いつの日か、妻にさりげなく"ありがとう"と言えるようになった時、その時がこの言葉を、私自身の体の中で"消化した日"と言えるのかもしれませんね。

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