平成25年(2013年)沖縄遺骨収集奉仕活動

2月9日(土) 松永光雄氏と平和学習往来ルート整備

14時50分、那覇空港に無事到着しました。(^o^)

前日の予報通りの曇り空でした。晴れの時ほどではありませんが、曇りの天候でもやはり少なからず風景はとても眩しくて、「沖縄にやって来た」との感慨をいつものように感じました。松永さんは空港ロビーに横付けする形で、私の到着を待っていてくれました。有り難うございます。(^o^)

時間も押しているので、本日は遺骨収集の為の調査は実施せず、いつものようにまず最初に「国立沖縄戦没者墓苑」で献花合掌し、戦没者のご冥福と志が果たせますようにと願います。その後時間の許す限り、平和祈念公園直下にある壕への平和学習往来ルートの下見・整備を行う予定です。また夜は金光教那覇教会の林先生ご夫妻とご自宅で夕食を頂く予定にもなっています。

国立沖縄戦没者墓苑

遺骨収集の様子1

昭和54年2月に建立された国立沖縄戦没者墓苑です。現在でも毎年100柱を超える戦没者ご遺骨が納骨され続けている事から、納骨堂は順次増設され、現在三棟目がすでに完成しています。

沖縄戦で散華された御霊様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。m(_ _)m

【国立沖縄戦没者墓苑の建立から現在までの経緯】

沖縄戦においては、軍民合わせて18万余の尊い命が失われました。この戦没者の遺骨収集は戦後、いち早く地域住民の手によりはじまり、各地に納骨堂や納骨堂を兼ねた慰霊塔を急造し、収集した遺骨を納めました。

昭和32年(1957年)には、政府が当時の琉球政府に委託して、那覇市識名に戦没者中央納骨所を建設し、納骨してまいりましたが、次第に収骨数が多くなるにつれ、中央納骨所が狭隘となってまいりました。このため、国難に準じた戦没者の遺骨を永遠におまつりするのにふさわしい墓苑を新たに造るべきであるとの要望が沖縄県をはじめ関係遺族等から寄せられ、厚生省(現厚生労働省)の配慮により昭和54年に本墓苑が創建され、中央納骨所から本墓苑に転骨したものです。

しかし、その後、毎年のように約100柱が新たに収集納骨されたことから、昭和60年に後方に納骨堂が増設されました。現在、本墓苑には戦没者18万余柱が納骨されております。

正面の参拝所の屋根は沖縄の伝統的技法により焼かれた赤瓦を使い、紋には桜の花を用いています。納骨堂には、沖縄産の琉球トラバーチン1千個が琉球王家の墓を模した古来の技法で積み上げられています。納骨堂はコの字形となっていますが、これは祖国の平和の礎となられた同胞を温かく抱擁していることを意味しています。

納骨堂に抱きかかえられるように安置されている石棺は福島県産の黒御影石で、どっしりとした万成御影石の台座にのっています。石棺の中には、沖縄の各戦場の象徴遺骨が白木の箱に分骨して納められております。

「沖縄県平和祈念財団サイト」から転載させて頂きました

国立戦没者墓苑への献花を無事終えました。(^o^)
沖縄戦戦没者18万余柱が永眠されている墓苑に、毎年こうして参拝できること事態がとてもありがたい事に思えます。縁があって今から30年前に沖縄県で遺骨収集が実施されているのを知ることとなり、現在まで戦没者慰霊活動に従事展開してきたわけですが、おつきあい頂いている金光教の視点から見れば、こうして毎年続けられるのも、まさに「おかげ」であり、常に感謝の気持ちを忘れずにこれからも遺骨収集奉仕活動に取り組んで参りたいです。

平和学習往来ルート整備

松永さんが行う平和学習は、平和祈念公園に隣接するジャングルの中にある壕で実施されます。沖縄における平和学習と言えば、例えば「轟壕」に代表されるように、バスから降りてすぐに壕や戦跡があるというパターンが一般的ですが、2月15日に実施される松永さんの平和学習は、半端でなくハードでエキサイティングな平和学習となるでしょう。

昨年第一回目が実施され無事に終えたことから、今年第二回目を実施する運びとなったようですが、昨年このハードなコースを往来して壕に到達し平和学習を体験された生徒さんの評判がとても良かったという事で、今年は定員を遙かに超える希望者があったそうですか、場所が場所だけに今年もやはり人数を制限しての「ジャングル踏破チャレンジin平和学習」となるようです。

私と松永さんはさっそく予定されるジャングルルートに入ってみました。驚きです。昨年丹念に道を作ったのに、草木が繁茂する区域では道の痕跡がまるで消えています。別の場所に我々はやって来たのではないかと思えるほど様相は一変しており、道の最短ルートを探るのにかなりの時間を要するほどでした。

更に倒木が異常に多かったです。松永さんの話では昨年三回巨大な台風が沖縄に上陸したそうです。この三本の台風のいずれもがゆっくりとした速度で進んだため、本島はかなり長時間暴風雨に晒されてジャングルには驚くほど倒木を見かける事に相成った次第のようです。また後ほど知ることとなるのですが、強烈な暴風雨に枝葉を飛ばされたのでしょう。ジャングルがやける “明るい” のです。

樹木を観察してみますと、倒された木以外に倒れなかったものの、末端の枝葉が吹き飛ばされたのか、見渡す限り枝葉の総量を減らされてしまった哀れな樹木が並んでいました。目の前には傷つき生気を失った風景が目の前に展開していたのです。

遺骨収集の様子2

確かにここに道があったのです。ホッ 本当です。(笑)
人間の作った道なんて、てんで気にしないジャングルの樹木達。南国のジャングルは一年でこんなにも繁茂するのですね~。ビックリです。

遺骨収集の様子3

ここにも倒木が…。本当に倒木が多いです。中央部分少し道の雰囲気が残っていますね。

遺骨収集の様子4

岩が連なるV字谷の部分ですから樹木はありませんが、ご覧のように台風によりちぎれて飛ばされた枝が無数に積み上がっています。

遺骨収集の様子5

ここにも倒木が…。

遺骨収集の様子6

ここもルート上で、岩のトンネルとも呼べる場所ですが、落ち葉がかなり堆積しています。落ち葉をそのままにしておくと滑りやすいですし、何より落ち葉に隠れた浮き石が見えませんからとても危険です。私たちはこうした落ち葉と浮き石はすべてルート外に排出しました。

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