平成24年(2012年)沖縄遺骨収集奉仕活動

1月29日(日) 摩文仁清掃奉仕

今日は朝から沖縄らしい暖かさとなりました。終日雨の心配も不要な天候みたいです。(^o^)

今年の沖縄は曇り空や雨の日が多く天候不順だそうです。結果として日照不足により野菜が高騰して大変なんだそうですよ。沖縄の冬と言えば関東地方などでは想像できないくらい暖かくて、野菜が育つベストな期間と言えますから、天候不順が野菜の生育をかなり遅らせているようです。野菜に限らず、沖縄特産のサトウキビも生育不良になっていると紹介したばかりですよね。

今年は桜の生育も大幅に遅れていて、「健児之塔」に至る途中にある緋寒桜も、昨年の今頃は満開でしたが、今年はまだ固い蕾といった状況です。名護ですら現在三分咲きというレベルですから、摩文仁における桜の開花はずいぶんと先になりそうですね。(沖縄の桜は本土とは逆に、北から南に開花が進みます)

第6回摩文仁清掃奉仕

「沖縄宗教者の会」主催による摩文仁清掃奉仕も、今年は第六回目になるんですね。今年の清掃奉仕作業も、例年通り糸満市市民部生活環境課ご協力のもと、沖縄宗教者の会に属する天理教、立正佼成会、パーフェクトリバティー教団、円応教、金光教の5教団により実施されました。5教団およそ140名の方々が、ここ摩文仁に参集され、ゴミ清掃に終日汗を流されました。(^o^)

まず今日の好天を取り上げねばなりません。繰り返しますが今年の沖縄は天候不順が際立っていたそうです。それだけに今日の好天を話題にする人があちこちに居ました。会話の冒頭に挨拶代わりに今朝の天候を持ち出すのではなく、会話の中心が今日の好天なのですから、相当深刻な天候不順であったことが推測されますよね。

いずれにしましても、ゴミ清掃奉仕活動は足場の悪いジャングルでの作業がメインとなりますから、危険回避と意味でも少なくとも雨で無い状況は、本当に助かりますし嬉しいです。天候がこれだけ味方してくれたのですから、きっと人身事故無しで無事に清掃作業を終えることが出来るでしょう。(^o^)

それでは昨年同様、「摩文仁清掃奉仕」の熱い一日をご一緒に追いかけてみましょう~。(^^)/

摩文仁清掃奉仕

摩文仁清掃奉仕の様子1

「沖縄宗教者の会」代表の林先生が、参加者を前にお話をされました。

摩文仁清掃奉仕の様子2

摩文仁清掃奉仕活動に参加される金光教の皆様です。今日一日よろしくお願いします。

摩文仁清掃奉仕の様子3

天理教沖縄教区長の山口國三さんがご挨拶されました。山口さんは昭和19年12月25日満州から沖縄へ転進し、沖縄9師団(武部隊)に所属して米軍と戦ったそうです。実際に体験した沖縄戦の様子など、とても印象深いお話をされました。

摩文仁清掃奉仕の様子4

毎年定点観測している緋寒桜の様子です。昨年は五分咲きぐらいだったのに、今年はまだ固い蕾といった状況ですね。

摩文仁清掃奉仕の様子5

ゴミ収集の作業が始まりました。私はこれまで毎年撮影に専念し作業は傍観していたので、反省し作業することにしました。でも時折抜け出して撮影はする予定です。

摩文仁清掃奉仕の様子6

4~5人が入れば一杯になってしまうような小さな壕ですから、皆さんが周りに配慮しながら協力して作業を進めます。

摩文仁清掃奉仕の様子7

作業をして初めて知りましたから、クマデ等でガリガリ瓶を集めていると、ガラス瓶の小さな破片が顔面に飛んでくるのですね。滅多に無いと思われますがガラス瓶の小さな破片が目に入ったら大変なことになります。これはかなり危険な作業であり注意しなければなりません。この体験を教訓に、来年は防護めがね等を使用するなど安全面を強化していきたいと思います。

摩文仁清掃奉仕の様子8

一番手前の方は、一杯になったバケツを運び出す作業をする方です。ガラス瓶が一杯入ったバケツは結構重たいですよ。

摩文仁清掃奉仕の様子9

ご覧のようにバケツリレーよろしく、壕からバケツは運び上げられていきます。

摩文仁清掃奉仕の様子10

バケツリレーの様子です。

摩文仁清掃奉仕の様子11

バケツリレーの様子です。

摩文仁清掃奉仕の様子12

引き上げ滑車の下で作業している皆さんの様子です。この場所のゴミ収集作業は今年で三年目です。二メートル以上深く掘り下げていますから、かなり土も混じるようになりましたが、まだまだご覧のようにガラス瓶は出てきますね。

摩文仁清掃奉仕の様子13

集められたガラス瓶の様子です。滑車で引き上げられるのを待っているところです。

摩文仁清掃奉仕の様子14

滑車で引き上げられたゴミについて、地上部分で、可燃物・不燃物に分別している方々です。

摩文仁清掃奉仕の様子15

ゴミの分別場である「健児之塔」前から、市が派遣しているゴミ清掃車までのバケツリレーの様子を追いかけてみましょう。さあ行きますよ。(^o^)

摩文仁清掃奉仕の様子16

ご覧のように日差しもあり、重いゴミ袋の転送は思いの外大変です。

摩文仁清掃奉仕の様子17

参加者は年配者が中心ですが、若い人たちの参加も目立ちますね。

摩文仁清掃奉仕の様子18

ゴミ袋は次から次へと運び上げられていきます。

摩文仁清掃奉仕の様子19

 

摩文仁清掃奉仕の様子20

 

摩文仁清掃奉仕の様子21

バケツリレー区間は、およそ150メートルぐらいですが、終点が見えてきました。

摩文仁清掃奉仕の様子22

ゴミ収集車は満杯となり、ゴミ処分場へ走り去ったようです。ゴミ収集車への積み込みを待つゴミの山が目の前にありました。ここがゴミ搬出の終点ですが、積み上げられたビニール袋に入ったゴミの山を見ると、正に人力によるゴミ搬出作戦ですね。

摩文仁清掃奉仕の様子23

ゴミを収集している壕に戻りました。ほぼ収集を終えた壕の底面には、ご覧のように所々小さな穴が開いています。ゴミを完全に搬出し終えしたら、現在の底面よりも一段下にも壕の空間があるかどうか調査してみたいと思います。

摩文仁清掃奉仕の様子24

沖縄戦当時この壕に避難していた方が持参していたと思われる瀬戸物の器がありました。発見した私が自分で言うのも何ですが、この散乱するゴミでグシャグシャの状態なかで、よくこのような小さな破片が見つかるものだと感心します。思いますに集中力のなせる技なのでしょうかね。本当に不思議でなりません。

摩文仁清掃奉仕の様子25

ゴミの山が見事にゴミが片付けられましたね~。お疲れ様でした。(^o^)

摩文仁清掃奉仕の様子26

写真は壕の入り口付近を写しています。壕の奥深い部分は全てゴミが片付けられましたが、入り口付近を先に片付けてしまうと、ゴミの搬出に支障がでますから、この場所の片付けは来年に持ち越しという事になりました。

摩文仁清掃奉仕の様子27

清掃作業も無事に終了しました。ひのきしん隊隊長の古堅宗康さんが参加者隊員を前にねぎらいの言葉をかけているところです。

摩文仁清掃奉仕の様子28

閉会式最後に沖縄宗教者の会を代表して金光教の林先生がご挨拶に立たれました。

【聖地にごみ捨てないで 民間・市が撤去作業 摩文仁】 4時間で3・5トン「県主導を」の声も

「沖縄タイムス」平成24年1月31日

【糸満】糸満市摩文仁の沖縄師範健児之塔南側の山林で29日、不法投棄ごみの撤去作業があり、宗教関係者ら民間ボランティアや同市職員ら約150人が参加した。午前10時から約3時間の作業で約4・5トンを回収した。同所での作業は5回目だが完全撤去はまだ遠い。あと4~5年掛けても難しいとの声もあり、参加者らは「僕らだけでは限界がある」と、県主導による取り組みの必要性を訴えた。

 草木が生い茂った足場の悪い急斜面の崖下を、腐食したビニール袋や空き缶、空き瓶など大量のごみが埋め尽くしている。重機などが入れないため、作業はすべて手作業。参加者らはごみ収集車が待つ場所まで約200メートルの列をつくり、手渡しでごみ袋を運んだ。

 参加者らによると、同作業は2000年から始まった。当初うずたかく積もっていたごみの山は6~7メートルほど低くなったが、まだ地面は見えてこない。投棄された場所はほかにもある。

 呼び掛け人で遺骨収集にも携わる金光教那覇教会の林雅信さん(72)=那覇市=は「多くの参拝者が訪れる霊域だが、一歩裏に入れば周辺はごみで埋もれたまま。遺骨が出ることもあり、戦没者たちに申し訳ない。名実共に聖域、霊域にするためにも、県が旗振り役になってほしい」と話した。

「沖縄タイムス」から転載させて頂きました

第6回やえせ桜まつり

摩文仁清掃奉仕も無事に終了し、閉会式後の設置したリストやその他の持ち込んだ備品なども全てひのきしん隊が準備されたトラックに戻されました。全ての作業を終えて時計を見たら3時過ぎだったので、松永さんが「やえせ桜祭り」に行こうと誘って下さいました。(^o^)

沖縄の3時頃といえば、まだまだ昼下がりといった雰囲気ですからね、ゴミ清掃で少し疲れた身体を労ってやるには最適だと思えましたから、一時楽しもうという話になりました。

八重瀬町は東風平と具志頭が市町村合併して生まれました。さくら祭り全体を通して合併した町民の懇親を深めるための演出を強く感じましたね。寒い冬から解放され綺麗な桜の花の下で、子供からお年寄りまで楽しめる各種アトラクションが用意され、イベントに参加したり観覧したりそれぞれの立場で終日楽しめるよう配慮されている印象でした。

私は夕刻には那覇空港に戻らねばならず、主要なイベントである大綱引きは最後まで見学できませんでしたが、会場で沢山の写真を写しましたから、皆様も一緒にやえせ桜祭りをお楽しみ下さいませ。(^o^)

第6回やえせ桜まつり

やえせ桜まつりの様子29

本土と同じように今年の沖縄はとても寒くて桜の開花も大幅に遅れました。ご覧のように桜は一分から二分咲きといったところでしょうか。

やえせ桜まつりの様子30

天候にも恵まれ大勢の人たちで賑わうさくら祭り会場の様子です。声をお伝えすることはできませんが、笑い声や話し声があちこちで賑やかに交わされていました。

やえせ桜まつりの様子31

ご存じピーマンですが、大きいですね~。飛ぶように売れていました。

やえせ桜まつりの様子32

子供向けのシーサー作成教室といったところですね。沖縄らしいイベントですね。

やえせ桜まつりの様子33

作業する机の上は大変なことになっていますが、粘土を整形するところからスタートしていますから、完成した時はきっと嬉しいでしょうね。きっと良い思い出になるでしょう。

やえせ桜まつりの様子34

彼らの “作品” を紹介しますよ。可愛い顔をしていますね~。(^o^)

やえせ桜まつりの様子35

ユニークな顔のシーサーが次々に生まれていますね~。

やえせ桜まつりの様子36

子供の発想の豊かさを改めて感じますね。

やえせ桜まつりの様子37

この「シーサーのルーツ」を見ると、シーサーはエジプトがルーツであり、イスラムの中東を経て東南アジア、そして沖縄へと伝わったみたいですね。勉強になりました。

やえせ桜まつりの様子38

歌謡コンテストと銘打ってカラオケ大会が開催されています。皆さん歌がとても上手でしたが、それ以上に司会者の現地語を交えた軽妙な語りで会場を沸かせていた司会者が印象的でしたね。右側に立っている方が司会者です。

やえせ桜まつりの様子39

メインステージ前には、雨に備えてのテント付きの観覧席がもうけられていました。地元のお年寄りなどを招待しているみたいですが、踊りなどのイベント用の服装をしている方も居ましたから、観覧したりイベントに参加したりと見て踊って楽しんでいる雰囲気でしたよ。

やえせ桜まつりの様子40

出店も沢山出店していましたから販売されている食べ物は豊富でしたね。奥の方に見えるのは子供向けのさながら移動遊園地といった感じで、子供が楽しめる施設が設置されていました。

やえせ桜まつりの様子41

獅子舞の様子です。こんなに近くで沖縄伝統の獅子舞を見るのは初めてですが、かなり迫力がありました。

やえせ桜まつりの様子42

よく観察すると独特の動きがあり、この動きのパターンも多かったです。

やえせ桜まつりの様子43

 

やえせ桜まつりの様子44

やえせ桜祭りのメインイベントと思われる大綱引きが始まったようです。東西から大きな大蛇に見立てたと思われる綱を大勢の人たちが担いで登場しました。東西の綱は男綱・女綱と呼ぶらしく、女綱を扱うときは優しく、男綱は粗々しく…。というようなイメージで綱を操るのだそうです。

やえせ桜まつりの様子45

綱は蛇に例えられるのでしょうかね。場内を蛇がクネクネするように練り歩きます。

やえせ桜まつりの様子46

東西の綱がここで合体しましたが、棒が男性のシンボルに見立てどうやら男女の合体をも意味するようです。実際にそのようにアナウンスしていましたが、もちろん神事という意味ですから、神聖な行事という意味です。時間をかけ神妙に作業が進められました。日本の祭りにはそうした男女の絡みを含めた祭りが多いですね。

やえせ桜まつりの様子47

大綱引きは準備が完了した時点で一度休止し、棒術の演舞が始まりました。

やえせ桜まつりの様子48

沖縄は空手が盛んであるのはよく知られていますが、伝統の棒術も様々な武器が登場し、また演舞のいろんな型があるようですよ。

やえせ桜まつりの様子49

複数の団体が参加している印象です。各地域に伝統芸能を守る組織があるのかもしれません。

やえせ桜まつりの様子50

単独で演舞したり、複数人で演舞したり、また動作も実に多彩です。

やえせ桜まつりの様子51

後ろ姿で少し解りにくいのですが、沖縄県自由民権運動の父、謝花昇先生を讃えるデモストレーションです。謝花昇先生「東風平謝花」と称えられて県民の尊敬を集め、地域の英傑として現在でもこのように地元のイベントで顕彰されているのですね。

やえせ桜まつりの様子52

こちらは、汗水節を書いた仲本稔先生を讃えるデモストレーションです。「汗水節」は働く喜びを歌い、社会奉仕を説く沖縄の代表的な教訓歌で、沖縄県人の社会生活向上運動に貢献し、現在でもこうして謝花昇先生 と共に地元で顕彰されているようです。

やえせ桜まつりの様子53

やえせ桜祭りのメインイベントである大綱引きが始まりました!。写真では紹介できませんが、見物する町民の皆さんも大きなかけ声を発して、会場が大きな歓声に包まれながら燃え上がりました。(私は決着がつく前に那覇空港に向かいましたが、結果は一勝一敗だったようです。また祭りの最後には、字富盛青年会のエイサーが演舞されたそうです。見たかったな~。)

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