平成27年(2015年)沖縄遺骨収集奉仕活動

1月18日(日) 第9回摩文仁清掃奉仕、遺骨収集事前調査(林先生他6名)

沖縄宗教者の会主催による摩文仁清掃奉仕も、今年は第9回を数えるまでになりました。この清掃奉仕活動は、昨日すでに天理教の「災害救援ひのきしん隊」の皆さんがゴミを吊り上げるための滑車設置等の下準備をして下さいまして、本日は清掃の本番日という事になります。

この宗教者による清掃奉仕活動は、糸満市清掃局の全面的なご協力の下、「摩文仁清掃奉仕」と銘打って、摩文仁に放置された大量のゴミを全て撤去する事を主な活動目的として、企画&実施は「沖縄宗教者の会」が主導します。今年で第9回を数えますから、主催者側もボランティアで参加する方々もすでに要領を得ており、特に説明することが必要ないぐらいスムーズに毎回事が運ぶようになっている印象を持っています。(^o^)

「沖縄宗教者の会」とは、沖縄県内の各宗教・宗派の15団体で組織され、各宗派それぞれの信仰や信条を尊重しつつ、相互にに協力しながら恒久真の平和を築かんとして、「沖縄から世界へひろげよう平和の祈り」をスローガンとして、沖縄県内各地で諸活動を展開しています。

昨日の準備作業および本日の本番清掃作業についても、天理教の「災害救援ひのきしん隊」が主体となって運営する運びとなっています。サイト管理人も「沖縄宗教者の会」の広報担当としてゴミと格闘する人達を熱くリポートしたいと思います。よろしくお願いします。

それでは、瓶類等の危険なゴミと格闘する参加者の奮闘ぶりをご覧下さいませ。(^^)/

第9回摩文仁清掃奉仕

遺骨収集の様子1

沖縄宗教者の会主催による摩文仁清掃奉仕も、今年は第9回を数えるまでになりました。代表としてご挨拶される金光教那覇教会の林先生です。雨が降りますと事故が発生する可能性が高くなりますので、何より天候が一番の心配事ですが、本日は幸いに雨の心配は無いという事で、参加者の皆さんは心おきなく作業に集中する事ができそうですよ。よろしくお願いします。

遺骨収集の様子2

「沖縄宗教者の会」 とは、沖縄県内の各宗教・宗派の15団体で組織され、各宗派それぞれの信仰や信条を尊重しつつ、相互にに協力しながら恒久真の平和を築かんとして、「沖縄から世界へひろげよう平和の祈り」をスローガンとして、沖縄県内各地で諸活動を展開しています。またゴミ収集の体制構築そして指揮統率と運用は、毎年のことですが、天理教災害救援ひのきしん隊の皆さんが主体となって取り組んで下さいます。

遺骨収集の様子3

沖縄宗教者の会代表としてご挨拶される金光教那覇教会の林先生です。

遺骨収集の様子4

水色のヘルメットといえば、天理教災害救援ひのきしん隊の皆さんですね。先頭に立つのが古堅隊長です。毎年お疲れ様でございます。

谷底での作業開始

遺骨収集の様子5

崖下でゴミを収集しバケツに入れている現場の様子です。一年に一日だけの摩文仁ゴミ清掃ですが、この場所でのゴミ収集は、今年でなんと6年目です。しかしながら6年続けても、大きな岩の部分を除いて、まだ沖縄戦当時の地盤に達した部分はごく僅かです。もしかしたら今年中には達する部分が多く出てきそうですけど、やってみないと断言できない状況です。

「裾野広からずば山高からず」という格言がありますよね。富士山と同じで、標高が下がるほど裾野が広くなるように、この現場でも年々ゴミ収集の裾野範囲が広がっていますから、下に行けば行くほど作業のボリュームが増す事態になっています。

遺骨収集の様子6

谷底で集められたゴミは、プラスチック製バケツに入れられて、3個から5個のバケツを一度に電動ウインチで巻き上げて、上部に設けられたデッキまで運び上げられます。

遺骨収集の様子7

作業場所は投光器で照らされているのでかなり明るいです。作業場所もそれほど広くはないので、10人から15人ぐらいが取り組むのが、ちょうど良い人数かもしれません。

遺骨収集の様子8

これまで6年継続して取り組んできましたが、ご覧のようにまだまだゴミの層は厚く、すぐには沖縄戦当時の地盤に到達しそうにありませんね。

遺骨収集の様子9

ゴミ山の下に行けば行くほど、捨てられたゴミの放置年数も長くなるので、ご覧のように土が多く混じるようになっています。土はここに捨ててないはずですから、これらの土は、落ち葉が腐葉土化したり、風で飛ばされ上から落ちて堆積したり、雨には土が混じっているなどの幾つもの理由で、このように捨ててない土が混ざるようになったものと思われます。

遺骨収集の様子10

この方は、天理教災害救援ひのきしん隊のメンバーですが、動きがとても軽快でしたね。

遺骨収集の様子11

見る人から見れば解りますが、この瓶は某メーカーの清涼飲料水ですよね。最近は飲みませんが、昔は私も随分とお世話になりました~。(^o^)

遺骨収集の様子12

ご覧のように割れてる瓶が全体的には多いです。土も混じっているので、谷底での分別作業は不可能なので、全部まとめてバケツに入れていきます。

遺骨収集の様子13

次から次へとバケツが埋まっていきます。また災害救援ひのきしん隊の皆さんの手際が良いので、次から次へとバケツが運び上げられ、そして上のデッキから空バケツが帰ってきます。

遺骨収集の様子14

金属のフックを利用して、ご覧のように多くのバケツを同時に吊り上げられるようになっていますので、作業がグングンと捗っていますし、全体の流れも実にスムーズですね。

遺骨収集の様子15

沖縄らしく、ゴミの中にはこのような物も混ざっています。薬莢がついている発射前の小銃弾ですね。

遺骨収集の様子16

昭和48年(1973年)に製造された一円玉ですね。この金光教遺骨収集の第一回目が昭和52年ですから、それよりも古い一円玉という事になります。昔は「健児之塔」に至る参道で飲料水やお土産を販売していた出店が多数ありましたから、飲料代金をやりとりするなかで落としてしまい、ゴミと共に捨てられたという事になると思いますね。

「健児之塔」横でのゴミ分別・搬出作業

遺骨収集の様子17

上部デッキまで持ち上げられたゴミバケツです。皆さんとても手際が良くて、見ていて感動するぐらいですよ。

遺骨収集の様子18

「沖縄師範健児之塔」前までバケツリレーです。持ったことがありますが、バケツは結構重たいので思いの外ハードな作業だと感じました。

遺骨収集の様子19

ここで瓶・缶類とビニールゴミに分別します。皆さん糸満市清掃局作業員の方々です。この摩文仁ゴミ清掃作業は、糸満市清掃局のご協力がなければ実現し得ない奉仕活動です。その意味でも、いつも本当にありがとうございます。そして引き続きよろしく御願い申し上げます。

遺骨収集の様子20

ここでも同じように分別作業をしています。

遺骨収集の様子21

この方はごみ袋をすぐに使えるようにしてますね。

遺骨収集の様子22

ゴミの分別作業をしている皆さんの様子です。

遺骨収集の様子23

このコーナーでは、最終的にゴミと土とをフルイで分けているところですね。

遺骨収集の様子24

松永さんも頑張っています。松永さんのヘッドライトに注目です。ここまでガチガチに固定すれば、ヘッドライトを紛失する事はあり得ませんね。

遺骨収集の様子25

「沖縄師範健児之塔」前でゴミは分別され袋詰めされまして、ここから上の駐車場までバケツリレーならぬゴミリレーで運び上げられます。それでは上に運び上げられるまでの作業の様子を見て見ましょう。

遺骨収集の様子26

さあここからスタートですよ。上の駐車場までおおよそ150メートルぐらいです。ゴミ清掃に参加される方の中には、女性やお子さんも多く居られるので、ゴミ袋は比較的軽く負担のないように袋詰めされています。

遺骨収集の様子27

グングンゴミが上がってきました。公衆トイレも見えてきました。

遺骨収集の様子28

「独立臼砲第一連隊戦没英霊之碑」の横を通過しています。

遺骨収集の様子29

駐車場が先方に見えてきましたよ。

遺骨収集の様子30

「風部隊之碑」の横を通過しています。

遺骨収集の様子31

糸満市清掃局のゴミ積載車も近くに見えてきました。あと一息です。

遺骨収集の様子32

オッ、この辺りは金光教の方々が多いですね。

遺骨収集の様子33

最後は清掃局の方がゴミを受け取って、清掃車に投げ入れてくれます。

清掃用具、運搬道具等の搬出

遺骨収集の様子34

本日のゴミ収集作業も終了となりました。最後はご覧のように、ゴミ収集作業道具類をも、リレーの為に並んでいる皆さんに協力してもらい運び上げる事になりました。これは今年初めての試みですが、とても助かりますよね。

遺骨収集の様子35

手で運べる道具はみんな運んでもらいます。

遺骨収集の様子36

もうぜ~~~んぶ運んでもらいます。ありがとうございま~す。

遺骨収集の様子37

上部デッキの解体作業も始まりました。皆さん慣れた手つきでテキパキ解体していきます。これらパイプ類は、ひのきしん隊の皆さんが運び出していました。

摩文仁ゴミ清掃閉会式

遺骨収集の様子38

無事に作業を終え、「災害救援ひのきしん隊」の方が整列しました。これから天理教災害救援ひのきしん隊の閉会式が執り行われます。

遺骨収集の様子39

「災害救援ひのきしん隊」隊長の古堅さんが作業終了の報告を行いました。

遺骨収集の様子40

ひのきしん隊の上部組織の代表の方が、今次ゴミ清掃作業について、総括され訓示をして頂きました。

遺骨収集の様子41

金光教那覇教会の林先生が、今次ゴミ清掃作業について、沖縄宗教者の会代表として、感謝の意を表明しました。

遺骨収集の様子42

疲れも見せずビシッと背筋を正す「災害救援ひのきしん隊」の皆さんです。今日は本当にありがとうございました。

《書籍紹介》
天理教による災害救援活動は、明治24年の濃尾地震が端緒になったようです。今から124年も遡るという訳ですから、その長い歴史に圧倒されてしまいますが、正に民間災害救援ボランティア活動の先駆けであった訳ですね。

歴史を遡れば、大正12年の関東大震災や大正14年の北但馬地震、昭和9年の室戸台風や昭和34年の伊勢湾台風、平成に入ってからの、平成7年阪神・淡路大震災や、近年では平成23年東日本大震災でも大活躍をされました。

天理教災害救援ひのきしん隊の際だった特徴は、救援活動における自給自足態勢にあります。
これは隊員の活動中における衣食住に関わる生活物資の全てを自前で賄うというもので、被災地の困難状況を鑑みれば、これは極めて重要な救援ノウハウであると言えるでしょう。

「駆けつける信教者たち」 天理教災害救援の百年

金子 昭著 同友社 平成14年(2002年)初版

遺骨収集の様子43

ゴミ清掃作業を終え、参加した金光教那覇教会関係者の皆さんが参集しました。皆さんお疲れ様でした。

午後は遺骨収集事前調査

遺骨収集の様子44

沖縄宗教者の会主催による「第9回摩文仁清掃奉仕」は、天候に恵まれそして事故も無く、無事に清掃作業を終えることが出来ました。本日の午後はまた、昨日に続き遺骨収集事前調査という事で、今年予定している収集区域内に入って、引き続き調査を継続します。本日は7名のメンバーです。若い人も加わってパワー溢れる精強メンバー(?)です。乞うご期待ですよ~。

遺骨収集の様子45

本日も雨の心配は無しです。嬉しいですね。地面もしっかり乾いており、よほどの事がない限り滑るというのは無さそうです。

遺骨収集の様子46

さあそれでは本格的にジャングルに突入です。まずはアダン帯からですね。昨日に続き総力をあげて御遺骨を見つけましょう。

遺骨収集の様子47

この近辺は私も初めて通りますね。私は摩文仁南斜面の全体像については、かなり把握していると自負していますが、個々の小範囲については、まだまだだと思えてなりません。もっともっと摩文仁を走破して頭の中に地形をインプットしたいです。

遺骨収集の様子48

結構斜面がきつい部分が多いですね。この辺りは「南冥之塔」から見ると一山越えていますし、避難する人は隠れやすい岩場に事欠きません。何より戦車は絶対に入ってこられないし、一山ある反射面なので戦車の砲身を向けられる事も無いということで、海からの攻撃に注意を払っていれば、比較的安全な一帯だと思えました。

遺骨収集の様子49

結構斜面が多いでしょう。沖縄戦当時樹木は無かったとイメージして俯瞰します。

遺骨収集の様子50

地図に掲載されるぐらいの大きな岩山がありました。

遺骨収集の様子51

この巨岩の周囲には、ご覧のような結構隠れる場所があります。当時多くの人たちが実際に避難していた事でしょう。

遺骨収集の様子52

三角の尖った山が見えてきました。見覚えのある山ですよ。以前反対側から同じ山を見上げていますね。

遺骨収集の様子53

鬱蒼としたジャングルですが、沖縄戦当時草木は爆風で吹き飛ばされており、白い石灰岩の山だったという事ですが、この風景からは想像できませんね~。

遺骨収集の様子54

大きな岩がボンボンとありまして、私達はその岩の割れ目を通ることが多くなりました。沖縄戦当時日本軍将兵もこうして岩の割れ目を行き来していたのでしょうね。

遺骨収集の様子55

すでに何度もご紹介していますが、金光教遺骨収集奉仕活動における「この場所での収骨作業は終了しています」という事を表す青テープが、この地域一帯のあちこちにありました。

遺骨収集の様子56

ここにもその青テープがあります。上の2枚の写真に写されている青テープは、劣化具合からして、もしかしたら同じ時期に設置されたテープかもしれませんね。

遺骨収集の様子

「可能な限り、高い所に登って周囲を俯瞰する」これが地形を把握する最上手段である事は、遺骨収集奉仕活動を続けておられる方なら納得して頂けるでしょう。今もこうして高い所に登り周囲を見渡しています。例えば写真奥に見える、崖の形状の特徴とか、生えている木の特徴とか、記憶しやすい印象的なイメージを頭にインプットするようにします。そうする事により、点と点が線になり、何年かの後に面となるのです。そうした蓄積がいつの日かきっと役立つ事を信じて。

遺骨収集の様子57

摩文仁でも十指に入ると思われる素晴らしい壕を見つけました。

遺骨収集の様子58

写真左側に空間がありますが、20人から30人はこの壕に滞在できると思われます。遺品がまとめて置いてありましたから、すでに収骨は済んでいるという状況のようです。

遺骨収集の様子59

写真中央に石組みが見られますが、現在の石組みは遺骨収集に際して積み上げられたものと推測されますが、沖縄戦当時も同じように、爆風避けとして石組みされていたと思われます。

遺骨収集の様子60

人間が一人通れるぐらいの狭い岩の割れ目ですが、そこを通ると海にも容易に出ることができます。少し前進してみましたが、海岸がかなり近くに見えました。

遺骨収集の様子61

しばらくあちこちクマデを振るってみましたが、遺品もそれほど多くはなく、これだけの大きな壕ですから、また近隣には例の青テープがあちこちにありましたから、この壕もきっと金光教の皆さんがしっかりと収集したに違いありません。

遺骨収集の様子62

引き続き調査を継続しています。ここもV字谷になっていますね。

遺骨収集の様子63

夕方になったので帰路につくことになりました。残念ながら本日は御遺骨の発見には至りませんでしたが、参加された皆さんが全力で調査に取り組まれ、地域一帯を歩いて地形を把握した意義は大きいです。今年の事前調査は、二日間とも天候に恵まれた事もあり、事故も無く、また本番での収集区域を確定することができるなど、十分に目的を達することができました。有り難うございました。そして皆様お疲れ様でした。本番でまた頑張りましょう~。(^o^)

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