令和03年(2021年)沖縄遺骨収集奉仕活動

1月23日(土) 摩文仁海岸線で調査・遺骨収集

今朝の時点での天気予報は「午前中雨で午後は止む方向」で、最高気温23度、降水確率は60%、20%です。今朝も朝から雨でした。と言う事で、本日も朝の慰霊巡拝は雨で中止です。

調査・遺骨収集作業開始です

令和3年(2021年)1月23日/沖縄遺骨収集の様子no.1

調査・収集作業開始に先立ち、沖縄戦戦没者の鎮魂を願い手を合わせました。m(_ _)m

令和3年(2021年)1月23日/沖縄遺骨収集の様子no.2

今日は昨日に続き終日雨の見込みですが、雨を見越して壕内での作業を予定していますので、まずまずの作業ボリュームは遂行出来るでしょう。本日は右から吉井さん、福岡さん、そして三浦さんです。今日も頑張って参りましょう。(^o^)

令和3年(2021年)1月23日/沖縄遺骨収集の様子no.3

壕の中に入ります。入り口はアルミ製の脚立が設置されていますので、楽に降りられるようになっています。

令和3年(2021年)1月23日/沖縄遺骨収集の様子no.4

壕に入ってすぐに場所から発見されました。皆が初めて見たと言います。私も初めて見ました。今回の遺骨収集で二個見つかった、不凍液が入っているスポイトと同じ黒色をしていますので、色とか形状から沖縄戦で将兵が持っていた遺品であるような印象です。

令和3年(2021年)1月23日/沖縄遺骨収集の様子no.5

裏側は真っ平らになっていますね。

令和3年(2021年)1月23日/沖縄遺骨収集の様子no.6

ご覧のように四角い容器の部分は高さ7cmぐらいですね。く

令和3年(2021年)1月23日/沖縄遺骨収集の様子no.7

岩肌を写しています。雨水がしたたり落ちているのですが、写真では良く解りませんね。

令和3年(2021年)1月23日/沖縄遺骨収集の様子no.8

この写真も雨水がしたたり落ちる様子を捉えようとしましたが、やはり水滴は見えにくいですね。

令和3年(2021年)1月23日/沖縄遺骨収集の様子no.9

昨日大きな岩を除けて、速やかにフルイ等の作業が行えるように準備しておきましたから、今日は朝からフルイ等を用いた作業に入れました。

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吉井さんと福岡さんです。

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三浦さんです。

令和3年(2021年)1月23日/沖縄遺骨収集の様子no.12

フルイで土に隠れた遺品を探し出します。徐々に土が湿っぽくなってきました。

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あちこちからライトで照らしていますので、手元はとても明るいです。福岡さんは遺品が少しだけ見つかっていますね。

令和3年(2021年)1月23日/沖縄遺骨収集の様子no.14

三浦さんです。こちらも遺品が少し出ているようです。

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オオゲジですね。足の部分を除いて7cmありました。ですから細長い足先も含めるとかなり大きな寸法となりますね。壕内ではよく見かける節足動物ですよね。このオオゲジ君は、かなり近づいても逃げませんね~。眠っているのか、又は珍しい動物が居ると、私達を逆観察していたのかも知れません。(^o^)

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鍾乳石を写しています。鍾乳石と言えばツララのような物をイメージしますが、これらのように粒々の鍾乳石もあるんですね。

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これも大きくは鍾乳石と言えるのでしょう。

令和3年(2021年)1月23日/沖縄遺骨収集の様子no.18

この時点までに見つかった遺品類です。

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アップしました。襦袢のボタンが六個見つかりました。

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松永さんと三浦さんです。

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吉井さんです。吉井さんは、天井からしたたり落ちる雨水に耐えきれず、雨合羽を着ました。壕内なのに雨合羽を着るというのは、極めて珍しい事態です。天井部の岩肌からしたたり落ちる雨水というのは想像を超えて不快だと感じます。その不快さに私達は驚きを隠せない程です。

昨年もこの壕内で何日か作業しましたが、雨の日が無かったので、雨の日はこの壕内は雨水がまんべんなく降るというのは初めて知りました。ですから、これまではこの壕は艦砲砲弾にも耐えうる賢固な壕なので、中に居る将兵は心を休める事が出来たのではと信じていましたが、とんでもありません。雨が二三日続けば、屋根のない家と同じで、雨がどんどん降ってきます。そして地面は水浸しとなり、不快でじっとしているのも苦痛になるでしょう。この壕では、雨の日は悲惨な事になるというのを今回初めて知り、将兵のご苦労を垣間見たというのは収穫となりました。

令和3年(2021年)1月23日/沖縄遺骨収集の様子no.22

地面もジメジメしてきました。福岡さんの手足も、少しずつ泥んこになりつつあります。

令和3年(2021年)1月23日/沖縄遺骨収集の様子no.23

ご遺骨が見えます。指の骨かも知れません。土が水分を含むようになって、粘土のように重くなってきました。作業能率もどんどん落ちています。

令和3年(2021年)1月23日/沖縄遺骨収集の様子no.24

雨合羽を着た吉井さんも、あっという間に泥だらけとなりました。

令和3年(2021年)1月23日/沖縄遺骨収集の様子no.25

不快な作業環境の中、福岡さんが気を吐いています。昨日も大きな大きな岩を除けたりと、これも若さなのかも知れませんね。福岡さんファイト。(^o^)

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松永さんと三浦さんです。よく見るとお二方もズボンは泥だらけですね。

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松永さんのところもボタンが二種類出てきました。

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吉井さんが奥まった所で作業しています。

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吉井さんのところも、細かい遺品が時折出るようです。

令和3年(2021年)1月23日/沖縄遺骨収集の様子no.30

福岡さんです。作業したところは、綺麗に岩が除かれています。福岡さんの左手に注目です。手首周りに黄色い物が巻かれています。これは額などの汗を拭うのにとても便利だと言う事で、福岡さんは常用しているみたいです。サッと額の汗を拭えるので便利だそうですよ。お試しあれ。(^o^)

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松永さんと三浦さんです。

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福岡さんです。

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吉井さんです。

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福岡さんです。

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松永さんです。

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松永さんと三浦さんです。天井からライトがぶら下がっているのが見えます。こうした固定ライト数本が壕内を照らしていますので、壕内は思いのほか明るいです。

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福岡さんが手袋を見せてくれました。泥だらけと言ったところです。雨の日の困難さが目に見えるようです。

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この写真は私の足を写しました。無茶苦茶泥だらけですね。私の顔をサイトに出す事はありませんが、足なら出ても良いでしょう。(笑)

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松永さんのところで見つかった遺品です。ボタン類などが出ていますね。

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福岡さんです。

令和3年(2021年)1月23日/沖縄遺骨収集の様子no.41

松永さん、三浦さんが頑張っています。フルイの下には大量の細かな土が滞積しているのが見えますね。相当な量の土をフルイに掛けたと言う事ですね。

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吉井さんです。

令和3年(2021年)1月23日/沖縄遺骨収集の様子no.44

本日も夕刻となったので作業終了です。オオゲジ君は、まだ同じ場所に居ました。もしかしたら寝ているのかも知れませんね。さよなら、オオゲジ君。(^o^)

令和3年(2021年)1月23日/沖縄遺骨収集の様子no.45

壕の外に出ました。雨は小降りになっていました。写真をご覧下さいませ。奇妙な光景です。空き缶が何個か岩にへばりついています。あり得ない光景ですよね。皆で話をして合点しました。次の写真をご覧下さい。

令和3年(2021年)1月23日/沖縄遺骨収集の様子no.46

空き缶の塊が写真上の方にあります。その空き缶の塊をアップで写した訳です。昨年までこの辺りは空き缶・空き瓶の中にあったのです。上掲写真の空き缶の塊は、ゴミ回収で取り残された缶なのです。その空き缶の塊から地面まで、およそ2mぐらいあります。人間の身長を遙かに超えている程です。

写真下側に穴のようなところが見えますね。下の写真をご覧下さい。

令和3年(2021年)1月23日/沖縄遺骨収集の様子no.47

下にはご覧のように、大きな壕口がありました。ここから私達が作業した壕内に容易に入れるのです。昨年までは、この壕口はありませんでした。壕の外では空き缶・空き瓶に埋もれて壕口は全く見えませんでした。壕内はと言えば、空き缶・空き瓶が流れ落ちているので、そこがまさか壕口になっているとは思いもよりませんでした。

令和3年(2021年)1月23日/沖縄遺骨収集の様子no.48

新しく発見された壕口を左側に見ながら撮影しました。この写真に写されている部分は、昨年までは空き缶・空き瓶に埋もれていたのです。写真の上側のラインぐらいの高さまで埋もれていたというのですから驚きです。一番深いところで、優に2mを超えています。因みに今見えている地盤が沖縄戦当時の地盤と言う訳ではありません。土のようにみえますが、空き缶・空き瓶がかなり混じっているのが実情です。いずれにしても、糸満市主催のゴミ回収ボランティア活動ての困難さが忍ばれる所以です。ボランティアの皆様、本当にありがとうございました。(^o^)

令和3年(2021年)1月23日/沖縄遺骨収集の様子no.49

ここは昨日も写しましたが、未回収部分のゴミの山です。

令和3年(2021年)1月23日/沖縄遺骨収集の様子no.50

反対側を写しています。未回収部分のゴミの山です。コロナ禍が収まってから着手という流れになると思われます。

令和3年(2021年)1月23日/沖縄遺骨収集の様子no.51

松永さんが先日見つけた古銭を綺麗に清掃して持参して下さいました。向かって左側は、ご存じ「寛永通宝」ですよね。江戸時代を通じて広く流通した銭貨で、幕末まで鋳造が続けられたようです。驚く事に、昭和28年までは通貨として価値があったようです。また右側は、「乾隆通宝」という清朝銭と思われます。1644年から1912年まで、満州人がシナ本土とモンゴル高原を支配しましたが、その統一王朝である清の6代目・乾隆帝の乾隆元年(1736年)に鋳造されたものと思われます。

令和3年(2021年)1月23日/沖縄遺骨収集の様子no.52

こちらは両古銭の裏側を撮影しました。左側は、「寛永通宝」の裏側と言う事になりまして、何も書かれていません。また右側は、「乾隆通宝」という清朝銭の裏側で、書かれている文字は満州文字と思われます。

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