令和04年(2022年)沖縄遺骨収集奉仕活動

1月23日(日) 摩文仁海岸線で調査・遺骨収集

今日の天気予報はズバリと「雨」で、朝から強烈な雨が降っていました。予想最高気温23度、降水確率は100%、70%です。と言う事で、本日朝の慰霊巡拝は中止です。

また日中の作業についても、メンバー全員が集まり天候の回復を願いつつ車内で待機していましたが、荒天は悪化する方向にあり、雨と風は強まるばかり‥‥。怖いぐらいに天候は荒れ狂い、嵐と言えるような状況になったので、昼近くになって本日の作業は中止そして解散としました。諦めきれない私は、帰路につく際に「琉風之碑」に慰霊巡拝してからホテルに戻りました。

令和4年(2022年)1月23日/沖縄遺骨収集の様子no.1

嵐と言えるような荒天もやっと収まりました。本日の作業も中止となりましたから、ホテルに帰る前に、糸満市伊原にある「琉風之碑」を慰霊巡拝しました。国道331号線からご覧の脇道に入り150mほど進むと左側に見えてきます。因みに、「ひめゆりの塔」から200mぐらい国道331号線を西に進んだ場所が同碑の入り口、この写真のような脇道となります。写真に写されている角地の三階建て白いマンションを目印にすると良いと思います。また写真でも脇道の最奥部に白い碑が見えていますね。そうです。すでにここから「琉風之碑」が見えています。それでは早速脇道を進んでみましょう。(^o^)

所在地ご紹介

「駐車場・トイレはありません。路上駐車となります」

「琉風(りゅうふう)之碑」

令和4年(2022年)1月23日/沖縄遺骨収集の様子no.2

「琉風之碑」です。米国の施政権下であった1955年12月15日に、全国の気象台職員の芳志により建立さました。碑のある場所は糸満市伊原ですね。国道331号線から脇道に入り150mほど進むと左側に見えてきます。前回の慰霊巡拝は平成26年(2014年)2月13日でしたから、8年ぶりの訪問となりますね。ところで、同碑は近年改装された雰囲気がありますよ。手摺が新たに設けられたりと、真新しく刷新された部分もあります。

御霊様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。m(_ _)m

《過去の写真ご紹介》

遺骨収集の様子12

【平成26年(2014年)2月13日撮影】
「琉風之碑」です。米国の施政権下であった1955年12月15日に、全国の気象台職員の芳志により建立さました。碑のある場所は糸満市伊原です。国道331号線から脇道に入り150mほど進むと左側に見えてきます。「ひめゆりの塔」からは直線で200mぐらいの近さに有るのではないかと推測しました。それにしても、訪れる人もほとんど無いような印象で、少し寂しい感じがします。

過去写真掲載はここまでです。

令和4年(2022年)1月23日/沖縄遺骨収集の様子no.3

達筆で「琉風之碑」と彫られていますが、白い塔も碑題も新たに塗装されたようです。

令和4年(2022年)1月23日/沖縄遺骨収集の様子no.4

碑文です。読めますがテキストに起こしてみました。ご覧下さいませ。

【琉風之碑碑文】

沖縄戦も集結に近い昭和二十年五月下旬、選局は小禄村鏡水の沖縄地方気象台近くまで前線化した。職員は近くの壕内で業務を続けていたが、ついに五 月二十七日には壕を放棄し南へ後退せざるを得なくなった。

この一団は、豊見城村饒波をとおり、六月三日真壁村真栄平につき、そこで首里石嶺から軍気象隊とともに撤退してきた同隊への派遣職員と合流し、一体となってさらに南下をつづけ、この伊原の地にたどりついた。

約一か月にわたる苦難の道をたどり、死闘を重ねて多くの同僚は戦没し負傷し、いまや全く力つき果て、六月二十二日に至り生存者僅かに十二名となり、この岩陰に集り最後の解散をしその後それぞれの悲しき運命をたどった。

ここに、この地を元沖縄地方気象台職員の終焉の地として、戦没者七十柱の御霊を祀るため、全国の気象台職員の芳志により、昭和三十年十二月十五日琉風の碑が建立された。

いま御霊の三十三年忌にあたり、哀切新たなる?見え碑建立の概要を記し昇天の霊にささげる。

昭和五十二年六月二十三日

令和4年(2022年)1月23日/沖縄遺骨収集の様子no.5

沖縄戦で戦没された沖縄気象台職員72柱の名前が刻まれていますね。

夏草の 原に散るべき 花もなく

令和4年(2022年)1月23日/沖縄遺骨収集の様子no.6

「琉風之碑」が建立されている場所は、丘のような地形になっています。壕があるのかないのか見た感じでは不明ですが、見た感じではこの丘も隠れる場所はなさそうな雰囲気ではあります。

令和4年(2022年)1月23日/沖縄遺骨収集の様子no.7

切り株がありました。以前訪ねた際には、この樹木は枯れ枝が目立ちましたが、まだ元気に生きていました。枯れ込んできたので切り倒したのかも知れませんね。

令和4年(2022年)1月23日/沖縄遺骨収集の様子no.8

ご覧のように、穴が沢山開けられています。これらの措置は、雨水が進入して早く腐るようにしているのだと思われます。

令和4年(2022年)1月23日/沖縄遺骨収集の様子no.9

同じ意味で、ノコ刃で沢山傷が入れられています。

令和4年(2022年)1月23日/沖縄遺骨収集の様子no.10

同碑の前を走る道路の、奥まった側を撮影しています。この辺りは、隠れるような場所は少ないですね。

令和4年(2022年)1月23日/沖縄遺骨収集の様子no.11

付近の空き地から、荒崎海岸方面を見ています。

令和4年(2022年)1月23日/沖縄遺骨収集の様子no.12

「琉風之碑」近くにある畑の様子を見てビックリです。トウモロコシが全てなぎ倒されていますね~。午前中の嵐の呼ぶような荒天が、如何に強烈であったか解りますね~。

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